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東京高等裁判所 昭和41年(う)2733号 判決 -0753年 6月 30日

主文

原判決を破棄する。

被告人を禁錮四月に処する。

但し、この裁判確定の日から参年間右刑の執行を猶予する。

原審における訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

控訴趣意第一について

原判決挙示の証拠を綜合すれば、本件事故発生現場は、新潟県北蒲原郡京ケ瀬村大字駒林部落から同村金淵部落に通ずる幅員約三メートルの農道が同村内を貫流する新江用水と南耕用水との間に挿まれた堤防上の幅員約二・三メートルの村道と直角に交わる交通整理の行なわれていない交差点であるところ、本件当時被告人は自動三輪車を運転して右農道を駒林部落方面から金淵部落方面に向い時速約二十五キロメートルで進行し、本件交差点手前にさしかかつた際、折柄高橋彦太運転の原動機付自転車が前方の村道右側から該交差点に向い被告人の車とほぼ同一速度で進行して来たのであるが、右交差点は左右の見通しが極めて良好であるにもかかわらず、被告人は交差点の直前にある新江用水に架せられた橋の手前附近の路面に存する凸凹に気を取られて前方左右を注視していなかつたため右原動機付自転車の接近に気付かず、そのまま前同一速度で交差点に進入しようとした結果、交差点の数メートル手前で初めて前記原動機付自転車が交差点に進入しようとしているのを自車の右斜め前方約九メートルの地点に発見し、危険を感じて急停車の措置をとると共にハンドルを左に切つて避譲しようとしたが時既に遅く、右交差点内において自車の右前部附近と高橋彦太の原動機付自転車の前輪とを衝突させて同人を附近の路上に転倒させ、よつて同人に対し後腹膜下出血、頭部挫創、右鎖骨々折の傷害を負わせ、同日原判示病院において前記後腹膜下出血のため同人を死亡するに至らしめた事実が明らかである。所論は、被告人が九メートル斜右前方で初めて被害者の車を発見したとする原判決の認定は経験法則や客観的事実に反し合理性を欠くと主張するけれども、原判決挙示の司法警察員作成の実況見分調書および記録に存する原審検証調書によれば、被告人の進行していた農道は幅員こそ狭いが直線道路であつて、新江用水に架せられた橋の幅員はその手前の道路幅員とほぼ同じであり、しかも橋の手前の左右路肩は草むらとなつていて路面との境界線が比較的明瞭であるため、自車の進路を左右の路肩と平行に保ちさえすれば前方を見ないでも無事に橋の上に乗り入れることが可能であると認められるから、被告人が橋の手前において下方の路面のみを注視し前方を見ないで運転であるはずがないとはいえないし、また、被害者の原動機付自転車の走行音は、歩行者には遠方から聞き取り得ても、自動三輪車を運転している被告人には自車の走行音に打ち消され予め聞き取ることができなかつたものと推考し得る余地があり、その他記録を精査しても所論の点に関する原判決の認定に過誤は発見できない。

ところで、被告人のごとく自動三輪車を運転して交通整理の行なわれていない交差点を通過せんとする場合には、自車の進路と交差する道路の左右から交差点に進入して来る車両、通行人等があり得るわけであるから、交差点の手前において予め前方左右を注視して交差点に進入して来る車両等の有無を見定め、若し交差点に進して来る車両等があつてそれが自車の進路に影響をおよぼすおそれありと認め又は認め得べかりし場合には、その動静、進行の程度等に注意し、具体的事情に応じあるいは減速又は停止し、あるいは増速してその前面を通過する等機宜の措置を講じ、以て衝突接触等の危険の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるものというべきである。所論は道路交通法第三五条第三項の規定を援用し、被害者の車は被告人の車の右側から、しかも被告人の車よりやや遅れて交差点に入つたのであるから、被害者の車の方が減速又は停止して被告人の車の進行を妨げてはならない立場にあつたものであり、一方、被告人の車は交差点に入る場合左方から進入する車両に注意すれば足り、右方から進入して来る車両については、これを事前に発見すべき義務のないのは勿論、発見した場合でもそのまま進行して差し支えないとし、本件事故は全く被害者が道路交通法の前記規定を無視して交差点に突入した結果発生したもので、被告人には過失がなかつた旨主張する。しかし、交差点に入ろうとする場合、そもそも右方道路から自車より先に交差点に入ろうとする車両があるかも知れず、また右方から来る車両が自車と同時に交差点に入ろうとするときでも、双方の車両が相当な速度で進行しつつある場合には相手方車両の運転者が相互の進行状況についての目測判断を誤り、本来ならば優先通行順位にある車両の進行を妨げることなくその前面を通過しうるものと誤認して交差点に進入することのありうることは経験則上予想しうるところであるから、道路交通法第三五条第三項の規定が交通安全を図る見地から交通整理の行なわれていない交差点における通行順位を一応定め、規定違反の所為に対し罰則をもつて臨んでいるとしても、その故をもつて交差点に進入するにあたり右方から来る車両の有無およびその動静に注意を払うべき義務が免除されているものと解すべきいわれはなく、更に、右方から自車と同時に交差点に入ろうとする車両が右規定を遵守せず漫然進行して来る態勢にあることを認めた場合には、いかに先行順位にある車両の運転者であつても、いやしくも衝突、接触等の危険の発生が予測される限り、所論先行順位等の如何にかかわりなく、速やかに結果の発生を防止するため減速、停止その他機宜の措置を講ずべき注意義務のあることは、道路における危険の防止と交通の安全を根本目的とする道路交通法の律意に徴し当然であるといわなければならない。所論の援用する最高裁判所昭和四〇年(あ)第一七五二号昭和四一年一二月二〇日第三小法廷判決は、およそ被害車両が法規を無視している限りあらゆる場合にいわゆる「信頼の原則」の適用があるとする趣旨のものではなく、本件とは事案を異にし、適切ではない。しかして、原判決挙示の証拠によれば、被害者高彦橋太の運転する原動機付自転車は、本件交差点に入ろうとした際、同人の側から見て左方の農道から被告人運転の自動三輪車が同人の車とほとんど同時かあるいはわずかに早く同交差点に入ろうとしている状況にあつたにもかかわらず、同交差点の手前で停止又は徐行せず、漫然同一速度で交差点に進入したため、自車を被告人の車の右前部附近に側方から衝突させるにいたつたもので、本件事故の発生については同人の側に所論過失のあつたことは否定できないにしても、被告人の側においても、交差点に進入する際に遵守すべき前方左右の注視義務を怠つたため被害者の車の発見が遅れ、ひいては減速、停止等所要の事故発生防止措置を講ずべき義務を尽すことができなかつたことが本件事故発生の一因をなしているものの認められるのであるから、仮令被害者に交通法規の不遵守の過失があつたからといつても、それがため被告人において本件事故による被害者の死亡の結果につき業務上過失責任を免がれることのできないことは明らかであり、一件記録を精査検討しても原判決には所論のような事実誤認の廉はなく、また交差点通過の際における注意義務に関する法令の解釈適用を誤つた違法があるとも認められない。

論旨はすべて理由がない。<後略>(坂間孝司 沼尻芳季 近藤浩武)

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